卒業生たちの1か月と浦島太郎と。

久々のブログ執筆……。

一昨日のことですが、大学でいきなり、卒業生(元ゼミ生)と出会いました。
営業の仕事として大学に来たようです。
久々の再会に、笑顔で僕に応対をしてくれた彼女の姿は、確かに見慣れたものではありました。
しかしやはり、会社というものを背負って来ているからか、かつてのそれとは少し違うもののように見えたのも、また事実でした。
名刺交換なんてこともしました(←実は僕は嬉しかった)。
「まだ研修期間ですから」とは言っていたけど、やっぱり大学生ではない姿をしていて、彼女にとっての1か月というのはそれなりに濃密だったんだろうな、と思いました。

その日は、もう1人、卒業生(同じく元ゼミ生)と会いました。
こちらは会う約束をして、会ったものです。
ただ、こちらの彼女は土日も仕事なので、会うとしたら平日なのですが、その平日の都合がなかなか合わず、何度か調整を重ねて、ようやく会うことができたという感じでした。
彼女とは在学中からアニメや声優について話をすることが多く、今回もそういう方面の話で盛り上がりながら、自分の中ですっかり乾いてしまっているオタク成分を満たすことができました。
仕事の話もいろいろとしました。
彼女は大学の廊下を歩きながら、授業をやっている教室を少しのぞき見て、隔世の感のようなものを抱いたようでした。
卒業してたった1か月しか経っていないのに、もう大学生活というのは遠いものになってしまったようでした。
そのことをとても寂しそうに語っていました。

僕は、新年度が始まり、新しいゼミや新しい講義で新しい学生と接したり、新入生と新しい出会いをしたりして、教員生活としてもそれなりに新しいモードに移行しているわけですが、こうしたことって、毎年経験することなので、実は新しい経験ではないのです。
だから、卒業した彼女たちの1か月と、僕のこの1か月は、全然質が違うんですよね。
濃さが違う。
だから、僕は彼女たちの話を聞いて、何だか置いてきぼりにされたような気がして、ちょっと涙が出そうになりました(出てはいません)。


話が少しだけ逸れますが……
思えば、大学教員である僕の周りには、常に、18〜22歳の学生がいます。
もちろん入学したり卒業したりしていくので、一人一人の顔は違うんだけど、常に18〜22歳の学生が周囲にはいるのです。
ところで人間って、周囲の人々との関係によって構築されていく部分があります。
僕の場合は、18〜22歳の学生たちとの関係によって構築されています。
周囲の人々の年齢は「18〜22歳」ということで、ある意味不変なので、《周囲との関係性によって構築される僕》という存在は、不老なのです。
キルドレ」と呼んでくれてもいい。
ですが、言うまでもなく、僕の実年齢は増えていきます(いま40歳です)。
そうするとどうなるかというと、「浦島太郎」状態に突入するわけなのです。
本当は老いていっているのだけれど、《周囲との関係性によって構築される僕》という存在にリアルを感じている僕は、自分の老いに自覚できない。
気がついたら浦島太郎のように「おじいちゃん」ですよ。
そういう怖さが、この世界(教育業界)にはあるんです。


無時間的な世界の中でオタク的なことを考え続けている僕と、そうした世界をすり抜けて新たな世界に足を踏み入れている卒業生たち。
どちらが立派かと言えば、無論、後者でしょう。

そんな情けなさを感じる、ここ最近でした。