ラカンの三界、とかじゃなく

初音ミクを論じた僕の文章が、3月には活字化されると思います。
(校正するために明日大学に行くんですけどね)

虚構世界とか虚構的人格とかが扱われる際に、いつもラカン想像界とか象徴界とかが持ち出されてくるという現状に、僕はちょっとイラっときています。
それは単に、僕がラカンのことをうまく理解できていないからなのかもしれない。
でも、現実と虚構との間に通俗的な境界線を引いた上でラカンを援用している、その手つきが、僕には合わないのかな。

「虚構的キャラクター」とされている存在と〈現前〉しあえる空間に私たちも帰属することは容易だ。
そうした私たちの経験にリアルを感じる、そのリアルを、僕は理論的に説明してみたい。

3月には仲間内で身体論をめぐる研究会を行います。
そのときに、上に書いたような僕の思いを、みんなに聞いてもらおうと思っています。