子どもは大人を否定し、乗り越える

ずいぶん前に録画していた、『エウレカセブンAO』の完結編を、昨日見ました。

時間をめぐるSF的設定は、僕の理解が追いつかないところがあるので、何度か見直してみようとは思います。
だけど主人公たちのパッションについてなら、今の僕にも少しは書けるかなと思います。

かつてレントンは、ホランドたち大人の思いを受けとめつつもそれを否定し、エウレカとともに大人の思いを乗り越えて、新しい世界へと到達しました。
(このことは、TVアニメ版よりも映画『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』のほうが顕著かな)

今度は、レントンエウレカの子であるアオが、大人となったレントンの思いを受けとめつつも否定し、自らの手で新しい世界を切り拓き、レントンエウレカの幸せを繋ぎました。

前回も今回も、ともに、子どもが大人を乗り越えるという話だったんですね。
大人の側は、常に自らの「正義」で動いていたと思います。
しかしその「正義」を超える子どもの側のパッションが、世界を変えていく。
大人の側も最終的に、それを望ましいものとして受け入れていく、みたいな。
……すっごく、いい話だと思います。

しかも面白いのは、乗り越えられる側(前回のホランド、今回のレントン)はいずれも、藤原啓治さんが演じているという。
藤原さんの声って、乗り越えられる人の声?
いや、ちょっとニュアンスが違うな。
藤原さんの声を乗り越えられたとき、少年は大人になるんだよ、きっと。

さらに面白いのは、前回の最終話で電気グルーヴ「虹」が流れて、今回はLAMA「Seven Swell -based in "NIJI"-」が流れたという点。
ここにも後続世代による「乗り越え」がある!

きっと全部狙ってやってるんだろうけど。
その狙いに嵌められて、僕は感動しちゃっているんだろうけど。

京田知己さん、すげえや。