アニメ版『四畳半神話大系』

今日(昨日?)の「テクノロジーと文学」の授業では、アニメ版『四畳半神話大系』をとりあげました。
これは前回の授業で『魔法少女まどか☆マギカ』における〈ループ〉の問題の継続として、です。

でもなぜ、「テクノロジーと文学」において〈ループ〉を扱うのか。
それは、デジタル技術(巻き戻し・リピート再生、あるいはコピー&ペースト)の一般化により、従来SFのモチーフとして典型的であったタイムループにも、新たなリアリティが付与された、と思うからです。

魔法少女まどか☆マギカ』の場合、ループの当事者は暁美ほむらですよね。
彼女の場合、まどかを魔法少女=魔女にしないという〈ただ一つの結末〉(=トゥルーエンド)を獲得するために、ループし続けていました。
しかし、そのループは、必ずしもトゥルーに到達出来るものではありませんでした。
そのことが、ほむらに漂う「切なさ」の根源だと思います。
で、超越的な存在となったまどかによって努力が承認され、ほむらは救済されることになりました。

四畳半神話大系』の場合、大学三回生の「私」がループの当事者です。
「私」は薔薇色のキャンパスライフに憧れながらも、無駄に二年間を過ごしてしまった。
「私」は「あのとき別のサークルに入っていれば」「あのとき小津と出会わなければ」という、過去の自分の選択や運命を悔いながら、何度も何度も大学生活をやり直そうとする……それが〈ループ〉となるわけです。
しかし、どの大学生活を過ごしても、小津とは出会ってしまい、「私」が想像する「薔薇色のキャンパスライフ」からほど遠くなっていってしまう。
そんな中、「私」は永遠に四畳半の続く空間に閉じこめられてしまう。
「私」は延々と続く四畳半世界をさまよいながら、「無数の異なる運命」「無数の私」「無数の四畳半」を発見し、それらを肯定することができるようになるのです。

四畳半神話大系』は、僕も森見登美彦作品の中でとりわけ大好きな作品の一つで、小説版の方は、非常勤先の愛知教育大学での授業でも毎年取り上げているのですが、アニメ版を中心に授業を展開したのは、これが初めてでした。

学生さんに書いてもらったミニレポートを読んでも、結構みんな感動してたみたい。

授業で取り上げて良かったなあ、という感じです。