声優についての私論(2013/01/15)

公私ともに声優について興味・関心がある、僕です。
(「公」ってどういう意味だ!)

いずれ声優については論文を書こうと思っているわけですが、そのための準備段階として、声優についてその時その時に思うことを、このブログでメモしておこうと思うわけです。

ほら、もしブログに書いて公開しておけば、ふとした偶然でこのブログを読んでくれた人が僕の耳元で「お前って天才」とか「お前ってバカじゃね?」とか、ささやいてくれるかもしれないし、そうしたささやきが絶対自分の立論にとって有意義になると思うから。
でも、一番の理由は、もう外部記憶に頼らないと、僕の頭がおっつかないから、です。


さて。
ごく僅かな例外を除くと、僕はマンガよりアニメの方が好きです。
僕には「原作至上主義」みたいなのはないので、マンガ原作のアニメでも「原作を汚した!」「原作レイプだ!」みたいなことは全然思わない。
で、なぜアニメが好きかというと、映画的な動きが好きだから!という理由ではない。
声があるから、です。

「音声中心主義」という概念(?)があります。
すごく単純化して説明すると、文字言語に比べて音声言語の方が発信者に近いとする考え方です(←合ってますよね?)
こうした考え方は、文字言語が持つ魅力的ないかがわしさを正当に評価できない立場を支持してしまったり、〈起源〉なるものを暴力的に作りあげてしまう想像力を発動させる契機になってしまったりして、ジャック・デリダという人やその人を信奉する人たちによって批判的に語られてきました。
いや、批判的に語られたというか、相対化されてきました。
(↑この理解で大丈夫ですよね? ヒヤヒヤしてきます……)

ま、とにかく現代思想を通過した若い研究者たちは、デリダたちの議論のこともかじっているから、「音声中心主義」的な想像力ってものを、あまり肯定的に捉えることができなくなっているような気がします。
でも、これって肯定するも肯定しないも、ないんですよ。
声って、フツーに、発声者の身体性を喚起するものですよ。
そこはジェネラルな感覚として、押さえておくべきことだと思います。
聴覚障害者等のことを度外視している点で、僕を差別主義者だと批判することはできるかもしれない、ということは一応押さえておきます)

だから、素朴な感覚、フツーな感覚として、アニメにおける「声」が、そのアニメに登場するキャラクターの身体を、より豊かなものとして(立体的なものとして?)形成してくれるわけです。

いま僕は「立体的」というレトリックを用いたんだけど、声によるキャラクター形成を通じて、キャラクターが「立体的」だと捉え得るのに見合った「空間」もまた、同時に形成されるのです。

その「空間」は言うまでもなく、僕たちが「この俺の身体は実体的だぜ」と思っていられる「現実」の空間とは次元が違う空間だし、もっと言えば「2次元」と呼ばれる空間ですらない。
2.5次元」なんていう、それっぽい言い方もあるかもしれないけれど、そんな言い方をしても「分かったような気になっている」だけでしかない。
「2次元」「3次元」という言い方自体が、比喩的な表現であって、何の説明もしてないもの。
2.5次元」という言い方に逃げちゃうんじゃなく、もっと別の言い方を自分で考えないといけない。
(この僕自身の課題は、とある学生にも押しつけちゃったけど。えへっ)


さてさて。
僕がアニメ好きであることをカミングアウトして以降、声優が好きだという学生が身近なところで(僕に対して)可視化されてきました。
そのこと自体、僕にとっては嬉しいことであります。
でも、学生の話を聞いていると、僕はみんなと少しだけ感覚が違っているのかもしれない、と思うことがあります。

みんなは「好きな声優さんの声が好き」なんだよね。
僕は「好きな声優さんの声でも、好きじゃないときもある」なんです。

たとえば、僕は藤原啓治さんの声が好きですが、『交響詩篇エウレカセブン』のホランドの声が好きなのであり、『四畳半神話大系』の樋口師匠の声が好きなのですが、別に『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしの声を好きだとは思わないし、『特命戦隊ゴーバスターズ』のチダ・ニックの声を好きだとは思わない。
林原めぐみさんの声にしても、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイの声は別に何とも思わないけど、『名探偵コナン』の灰原哀の声は好き。
堀江由衣さんの声は総じて好きだけど、『輪るピングドラム』の夏芽真砂子の声はどちらかというと苦手。
……こういう感じ方って、どうですか?
僕の周囲では、あんまりこういう感じ方の人はいないのですが。

で、自己分析すると、結局コンテクスト次第かよ、ってことになってしまう。
物語の内容、そのキャラクターの個性・特徴などなど、声優さんの声以外の要因が働いてのことなのかな。
でもそればっかりでもないような気もする。
何でもかんでも「コンテクスト依存」っていう説明で済ましてしまうなんて、怠慢でしかないわい。

ということで、安易にコンテクストに帰すような説明を回避しつつ、声優の魅力を追求するというのが、現段階での僕の課題となります。


今後も不定期に、声優について考えます。