趣味が出過ぎた?授業の終焉

今日は、かねてより挑戦を続けてきた授業「テクノロジーと文学」が最終講を迎えました。
シラバスはこちら。
https://portal.sugiyama-u.ac.jp/syllabus/syllabus/search/SyllabusInfo.do?nendo=2012&kogikey=41610001

どういう意味で「挑戦」だったかというと、本来担当するはずだった先生が仕事の都合で担当できなくなり、本年度の前期の途中で急に担当することが決まったので、慌てて授業内容をつくりあげた、って意味で、挑戦。

もう一つは、「オタク」「研究者」「教育者」という三つを全て成り立たせたときに、どんな地平が拓けるんだろうか、がんばろうぜ、って意味で、挑戦です。

今日は最後の授業だったのに、前日寝過ぎてしまって、あまり満足のいく授業準備の時間がとれなかったのです。
でもまあ、何とか頑張って、まとめた、と。

内容は、今までの授業の振り返りをしつつ、アニメ『ソードアート・オンライン』第10話を参照しながら、身体を考える、というものです。
第10話は、デュエル(決闘のシミュレーション)、殺戮(クラディールによる)、セクシーショットからのラブコメ(腹を括ったアスナ三四郎ばりに奥手のキリトによる)という、身体を考えるにはうってつけの回だったのでした。

デジタル情報の構造体だと割り切っているはずの身体に対して「これは私の身体なのだ」という所有意識を抱く、この身体をめぐるリアリティを、ああでもないこうでもない、と解説したのでした。

実は『ソードアート・オンライン』自体を取り上げるのは、今回で2度目だったんですけどね。


最後に、みんなにこれまでの授業の感想を書いてもらいました。
多少のお世辞は含まれているんだろうけれど、みんなそれなりに満足してくれたみたいで、ホッとしています。

僕が作品に対する愛を惜しみなく示しながら分析したところも、良かったみたいで。
でも実はこれ、狙いだったのです。
この授業には、僕のゼミ生および来年度ゼミ生になる学生たちが何人か受けていたのですが、彼女たちに、「自分の好きな作品を、『好き』ってだけで終わらせるのではなく、そこから〈研究する姿勢〉を作りだしていくんだZ。そうすれば、強くなれるんだZ」というのを示したかったのです。
示したくてしょうがなかったのです。

でも嬉しい副作用(?)もありました。
おそらく非オタクな学生たちが、授業を通じてアニメの面白さ(主に『ソードアート・オンライン』や『四畳半神話大系』)に目覚め、個人的に全話観賞したり、自分の研究の参考にしてくれたりしたのでした。
この授業における僕のパフォーマンスは、最初からきわめて問題提起的なものであったので、その意味では、パフォーマンスは成功していたのでした。

授業準備にずっと徹夜までし続けていたんだし。このくらい報われてもいいよね?

来年度はいろんな仕事の関係で、担当する授業が減少してしまうのですが、後期にやる予定の通称「ラブコメ文学史」で、また、いろいろ挑戦したいです。