「あり得たかもしれない世界」「あり得たかもしれない自分」のありがたさの低下?

今日はよく分からない天気ですね。
Twitterなどを見てると、スーツ着てて大変とかいうツイートがあるのですが、就職活動中の人、お疲れさまです。頑張ってくださいね。

さて、今日は実は視聴していたアニメ『問題児たちが異世界から来るそうですよ?』について振り返ってみたいと思います。
といっても、まだ第4話までしか見ていません。
あとそれから、原作はライトノベルスニーカー文庫)なのですが、そちらは目を通していないので(1巻だけは買ってあるのですが)、あくまでアニメについて。

自分の住んでいる世界に飽きていたり満足いかなかった“問題児たち”三人が、「黒ウサギ」によって「箱庭世界」という“異世界”に召還され、「魔王」に挑戦する、というお話。

まずタイトルが秀逸だと思いました。「問題児たち」が「異世界から来る」ですからね。
主人公(問題児たち3人)目線ではなく、異世界側の目線でタイトルが付されている。
すげーな、と思いました。

そして、あくまでも第4話の時点での話ですが、箱庭世界に召還された3人が、その現状をあまりにもあっさりと受け入れている。
つまり、元いた世界に戻れるかどうか心配……なんてことが描かれない。葛藤がない。
これもすげーな、と思いました。

佐々木敦未知との遭遇』によると、「セカイ系」の物語以降、「可能世界もの」が量産されるようになったということですが、この『問題児たちが〜』もその群に入るのかな。
「あのとき別の選択肢を選んでいたら、今とは違う人生があっただろう」という想像力の具現化として、あり得たかも知れない様々な世界において自分の〈生〉を構成していく物語が、「可能世界もの」です。
こうした物語が生み出され享受されていく背景には、もちろん佐々木さんが言うように、マルチエンディングのゲームの世界観(設定)の影響はあるでしょうし、何度も何度も選択をやり直していくその主人公の行動原理には、「トゥルーエンド」を求めようとする心理が潜んでいるのでしょうね。
でもやはり「可能世界もの」隆盛の背景には、現代の人々の「現状に対する不満」=「『ここではないどこか』への憧れ」というものがあるでしょう。そういう不満や憧れがあるからこそ、「あのとき」の「別の選択肢」への未練が喚起されてくるわけですから。
しかし、その「別の選択肢」への関心、「可能世界」への関心は、不満だらけの「現状」と自分との結びつきが強ければ強いほど、高められていくはずのものです。つまり、「現状」=「現実」の引力が強いことによって、「別の選択によるあり得た世界」の“ありがたさ”が成り立つことになるはずです。
退屈で不満だらけの「現状」と「別の選択によるあり得た世界」との隔たりが強く意識されることを通じて、主人公は「別の選択によるあり得た世界」で“解放”されることになるわけです。

そうした観点から見た場合、少なくとも現時点では葛藤が描かれていない『問題児たちが〜』は、どういうことになるのだろうか。
主人公たちと、彼らが元々帰属していた世界との間に、それほど強い結びつきがないのです。
だからとてもライトな感覚で「箱庭世界」にやってきているのです。
彼らは別の世界にやってきたことを、それほど特別なものだと感じていないのです。
別世界でこそ成り立つ「あり得た自分」は、それほどありがたいものではないのです。
……もちろん、今後の物語の展開によって、彼らのこれまでの経緯が明らかにされ、今は語られない彼らの葛藤も浮き彫りになってくるのでしょう。
そういう意味で、どういう展開になるのか、楽しみです。

それにしても、黒ウサギは可愛い。
EDの歌とキャラの雰囲気が可愛い。
そして、僕にとっては『四畳半神話大系』『ファイ・ブレイン』以来3回目となる浅沼晋太郎さんの声に期待しています。