宇佐見毅・千田洋幸編『村上春樹と一九九〇年代』
宇佐見毅・千田洋幸編『村上春樹と一九九〇年代』(おうふう、2012年)
今日、編著者のかたから送っていただきました。ありがとうございます。
僕自身はこれまで村上春樹について論文を書いたことはないですし(村上龍についてならある)、まともに考えようとしたことはなかったのですが、『輪るピングドラム』を見て考えさせられるところが多々あったので、「1995年」というキーワードから、村上春樹の地下鉄サリン事件に対するコミットメントについても考えなきゃな、って思っていたところでした。
そんな矢先にこの本が贈られましたので、「誰だ、僕の心を見透かしているのは!」とビックリしてみたり。
そんな僕にとってやはり気になる所収論文は、
千田洋幸「「蜂蜜パイ」・『輪るピングドラム』における分有への意志
――あるいは、一九九五年以後の“生存戦略”」 です。
千田さんの文章は、前にも『F』という同人誌で拝読いたしまして、自分の関心(そのときは初音ミク)とも重なるなあと思っていたのですが、『ピングドラム』もですか!
ジャン=リュック・ナンシーの「共同体」論を援用しながら、最終話の冠葉と晶馬の関係性を分析するということは、僕には思いつかなかったので、とても参考になりました。
一方僕は、「運命の乗り換え」というコンセプトを通じて地下鉄サリン事件を解釈=物語化する『ピングドラム』の想像力に関心があります。
千田さんの論を受けて、自分がどう論を展開するか。
初音ミクのときと同様、また課題を与えられたような気がします。
他のかたの論文も気になるので、是非急いで読みたいと思います。
送ってくださいまして、本当にありがとうございました。