論文執筆行為と技術

ミュージシャンのブログやツイッターを見ると、「いまレコーディング中です」とか「アルバム制作もあと少しで…」といったコメントに出会うことがあります。
昔だったら、レコーディングというのは大きなレコーディングスタジオを借り切って、そこで行っていたんでしょうけれど、今日では各ミュージシャンがプライベートスタジオというのを持っていたり、自宅のそれこそベッドルームでPCの中で音楽制作することができるようになったため、スタジオのレンタル時間やレンタル料を気にせず、「ここからここまでがレコーディングの時間だ」という明確な区切りもないまま、曲作りが行われているようです。
レコーディングの日常化・全面化というような状況にある、といいましょうか。

その点、僕のような論文を書く者たちにとっては、そうした日常化・全面化は徹底しており、もうずーっと論文のことばかりを考えているような状況に身を置いてしまっています。
新聞読んでも論文のネタ探し。アニメを見ても論文のネタ探し。子どもと戦隊ものごっこをしても論文のネタ探し、です。

でも、論文のことを考えるということと、いざ本当に文章を書くということは別です。
文章を書くためにはそれなりの集中力やリズムが必要になってきます。

ある人は、お気に入りの音楽を聴きながら集中力を高めたり、またある人は、美味しいコーヒーを飲みながら集中力を高めたり。
論文執筆のための技術というのが、それぞれの書き手にあるんですよね。

それで、僕の場合はというと、……手書きです。
……基本的には、パソコンを使って文章を書くんですよ。しかし、初動というか、最初の書き始めは、パソコンの前では出来ないんですよ、僕の場合。
ただモニターを眺めるばかりで、文字を入力しては消し、入力しては消し、の繰り返しです。
そんなときは、もう手書きです。シャーペンやボールペンを使って、ノートに文章を書いていく。そうすると、なぜか書き進められるんです。
執筆環境を変えることで、頭の中が切り替えられるのでしょうか。
それとも、ペンを握り文字を書くという身体的な行為が、理解力と繋がっていくのでしょうか。
……そういえば昔、英単語とか漢字を覚えたりするとき、意味もなく、その単語をノートに書き続けていましたが、あれって意味があったのかな。

結構興味深い問題だと思うのですが、それについて考えていると、今書かなくてはならないことが書けなくなってしまうので、またそのうち。

8〜9月には皆さんに何かを見せられるように、頑張ります。