WORLD'S END SUPERNOVA

今朝も早起きをして、録画してあった映像を見ました。
NHK BSプレミアムの「音楽熱帯夜」の、くるりのライブ(日本武道館)です。

バンドを結成して15年経つんですかね。その間、メンバーも入れ替わったりして。
このライブ映像を見て、バンドの音楽を聴くっていうのは、そのバンドの人間関係の歴史を味わうっていう意味もあるんだなということを、改めて感じました。

僕は自分では「ミーハー」だとは思っていないのですが、その時々に「いいな」と思った音楽を聴いているので、何かを一つのバンドをずっと追っかけていくということを、意識しておこなっては来なかったと思います。だから、上に書いたような単純なことを、すっかり忘れてしまっていましたのです。

その時代その時代のメンバーで作られた楽曲。それらが、縁あって今集まっているメンバーによって演奏されている。それらの曲は、それが生まれた時代の想像力や作者の思いを内包しつつ、今の時代の想像力や今の演奏者の思いを重ねていく。ステージ上では可視化=実体化されないかも知れないけど、楽曲を媒体に蓄積された人間関係を僕らリスナーは聴いているんだ、と感じ入りました。

それにしても岸田繁さんの詞は、素朴なんだけど味があるなあ。なんでだろう。うまく説明できないな。しかし、メロディとの組み合わせがポイントだろうね。詞の味は、メロディが支えているとは感じる。……うまく説明できないけど。

僕がくるりを知ったのは、「WORLD'S END SUPERNOVA」から。知っている人は知っているけど、打ち込み主体のグルーヴ感ある楽曲ですよね。今でもこの曲が一番好きかも知れない。「ばらの花」も好きか。
ロックバンドの打ち込みって、時たますごくハッとさせられることがあります。サカナクションの楽曲とかもそうですね。
ギター主体のバンドの打ち込み曲とか、テクノ系のミュージシャンのギターの使い方とかって、自分的にはすごく気になります。というか、「いいな」と思う率が高い。
音色(おんしょく)に対するエキゾチシズムみたいなものに惹かれるのかもしれません。


ただ、最後に僕の好みを書くと、「ワンダーフォーゲル」は、アルバム収録のスタジオ録音版のほうが好きです。YouTubeなどで過去のライブ映像とかで「ワンダーフォーゲル」聴いても同じ思いです。生演奏によって削ぎ落とされてしまう(?)魅力ってのもあるのかな、と思いました。……生意気書いてすいません。