ラブコメ論、なんとかいけそう!

来年度はいろいろあって、今年よりも大学で担当する授業が少なくなりそう。
(ていうか、今年がイレギュラーに多かった。徹夜もそのせいだぁ!)
もちろん、3年・4年のゼミはしっかりあるし、卒論指導もバッチリやるつもりだけれど、講義の授業が少なくなりそうなので、その少ない機会に何とかして「面白い授業をするボク」を作りあげ、発信していきたい。

そんな「少ない機会」として重視しているのが、「日本文学史(近代・現代)」です。

これは前期と後期の、半期2回の授業です。
前期は、日本近代文学史の「オーソドックス」をまずは押さえてもらおうと、普通に「通史」をやります。つまり、明治期から平成にかけての文学史のトレンドを時代に沿って確認する、というもの。
いわゆる自然主義がどうとか、モダニズムがどうとか、戦後文学がどうとか。
もちろん、こんなものは「暗記科目」ではないわけで、作者名や作品名を暗記すればいいという問題ではない。
現代の私たちの表現文化とどんな関わりを持っているのか……という問題意識を常に学生に意識させながら、講義を行っていくことになるかな。

問題は、後期の授業をどうするか、です。
僕としては何かテーマを決めて、そのテーマに即した表現・思想の今昔を比較していけるような、そんな授業をしたいなあと思っているのです。
で、思いついたのが、「ラブコメ」。
一応、授業内容のタイトルを掲げると、

近代文学の(不)可能性としてのラブコメ (仮)

です。

ライトノベルを含む現代の文学やアニメやマンガなどでは、典型的な物語パターンとしての「ラブコメ」っていうのがありますよね。
(「ラブコメ」の定義については、置いといて……)
しかし、そのラブコメを「日本近代文学史」の中に見いだすことは、なかなか難しいっす。
でもそれって、どうしてなんだろう?
単なるジャンルの違いの問題?
それとも「ラブ」や「コメ」をめぐる、時代・社会の違いの問題?
だけどその一方で、現代のラブコメの中に「文学史的記憶」とでも呼べるようなものを見いだすことは、できなくないわけで……。

というわけで、私たちが享受する物語(今回はラブコメ)が、先行する時代とどう連続/断絶しているかを確認することで、私たちの「感動」の経験を相対化したいな、というのが授業の狙いです。

……なんか、できそうな気がする!

具体的な作品(近代文学の)も、いろいろ浮かんできました。
(浮かんだあと消えたのもあるけど)

またそのうち、このブログでも紹介するので、感想がありましたらお願いします。