ミュージックビデオ研究ってどうやるの?
先週と先々週の水曜日の椙山での「テクノロジーと文学」の授業で、ミュージックビデオの可能性について講義しました。
まあ、歴史というか教養的なところで、MTVの放送開始の話(バグルス「ラジオスターの悲劇」)とかマイケル・ジャクソン「スリラー」のインパクトについてまずは説明して。
で、音と映像との結びつきを流動化させる可能性を潜在させているみたいな話もしたかな(サイレント〜トーキーの流れを押さえた上でのミュージックビデオの位置づけなんかを少々)。
そのあと、ミュージックビデオの可能性を4点ほど挙げたかな。一応ここでも列挙しておくと……
(1)音楽家の身体への焦点化
ビデオによって音楽家の外観的特徴が聴取者の注目を喚起するようになり、(音楽的特徴ではなく)外観的特徴によって「ヴィジュアル系」などのジャンル分類が行われるようになる。また、ダンスする身体を焦点化し、ダンスする身体そのものの商品化が展開されるようになる。
(2)歌詞と映像との対応関係
歌詞の世界もしくは歌詞そのものが視覚化されることによって、歌詞への注意が喚起され、リスナーによる歌詞理解の補助となる。RADWIMPS「有心論」やサカナクション「アルクアラウンド」あたりを参照すべし。
(3)作家性の追求
ミュージックビデオはドラマなどとは違い、物語の伝達という目的に拘束されることがないので、映像実験の場となりうる。念頭に置いているのは、高木正勝の諸作品。
(4)音と映像の同期による快楽
同期がぴっちりいっていると、気持ちいいよねという話。The Chemical Brothers「STAR GUITAR」。
そしてそして、ミュージックビデオにおいてスポットが当てられる身体に注目しました。
身体が「デジタルイメージ」としてある現在、身体は、デジタルな操作(複製・切断・拡大・縮小・変色・歪曲など)の対象として捉えられるようになり、そのような操作によって生じてくるデジタルなグルーヴ感と、身体(肉体)がもたらすアナログ的なグルーヴ感とのせめぎ合いがミュージックビデオにおいて見られるよ〜という話をしたかな。
とりあげた作品は、
・Kylie Minogue「Come Into My World」
・livetune adding 中島愛「Transfer」
・Perfume「コンピュータシティ」
・The Chemical Brothers「Let Forever Be」
・サカナクション「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」
このうち、学生たちの度肝を一番抜いたのは、The Chemical Brothers「Let Forever Be」でした。
……とまあ、まとめてみたわけですが、でもそもそも、ミュージックビデオ研究ってどうやるんだろう?
さて、本日の「テクノロジーと文学」は、テーマが「ループ」で、『魔法少女まどか☆マギカ』についてやります。学生さんは乞うご期待。